ブログを書き続ける技術
ども、@kimihom です。
読者の皆さんは、何か10年続けたものをお持ちだろうか?
「今年は体を鍛える!」「今年は英語の勉強をしっかりとやる!」
そんな思いを年の初めにしたところで、それが1,2 年 で終わっているケースがほとんどだろう。
つまり、"どんなことでも" 10年続けられれば、ほとんどの人より優れたものを持つことになる。
ブログで10年書き続けられただけで、ものすごく限定的な存在となれる。お陰様で、ボクココの読者数は、執筆時点で 432名となっている。これは、全はてなブログユーザー数(約1,000万)のうち、519位の位置付けのようである。ここまで来れたのは、毎回このブログを読んでくださっている皆さまのおかげだ。
さて今回は、ブログ執筆に絞って、ここまで 11 年間 書き続けられた振り返りとともに、技術としてまとめてみよう。
"自分で考える" を習慣にする
まず、自分で考えずに 「聞く」ってのは本当に簡単なことである。
テレビやインターネットでニュースを聞き続ける、SNS で誰かの投稿を読み続ける。何も考えなくても、勝手に情報が入ってくる時代になっている。
でもそこには、「自分で考える」ってことは何もない。
"自分で考える" が癖になっている人は、例えニュースを見た時にでも、自分はこう思うってのを "書き出す" 習慣があるのである。その書き出したことによって、それを読んだ方が 否定的な意見をすることも数多くある。それにビビって書かないことも、よく聞かれる。
確かに、私自身、ボクココの記事で否定的な意見を何度も見てきた。
スルー、スルー、スルー!コメントをみると否定的なことばかり書かれているが、同意してくれた人は単に書いてないだけであって、否定的なだと書きやすいだけの違いなんだ。自分自身が考えたことなんだから、それは正しいのである。
最近は特に、野球の大谷選手を見ると理解しやすい。少し前までは、彼の二刀流を肯定する専門家はほとんどいなかった。「打者としてだけ続けてれば、もっと歴史に名を残すバッターになれるのにもったいない!」と誰もが言っていた。そんな中でも、大谷選手は自分の考えを信じ続けて、今の輝かしい結果を出すことができているのである。
否定的なコメントを書いているのは、まさにそんなかつての大谷選手を批判したような人たちに過ぎない。
むしろそうした否定的コメントが出てきたら、自分の書いた考えを必ず実現させてやろうって思いが強くなる。否定的なコメントをポジティブに捉えられるようになると、ブログを書き続けられたその先にある、輝かしい未来の実現ができよう。
"そんな批判すら出てこないブログを書いている" だって? それは、あなた自身の考えを全く記していない、批判にビビって何も書いてないに等しいブログを書いているからだ。
"私はこう思う。" さらにその先にある "私はそう信じている。" そう言える人が最終的には自分の理想の未来を実現できるのである。
ネタは考えるのではなく、感じよう
ブログの特に一番の大きなハードルとして、「しばらくしたら書くネタがなくなった」というのがある。
そもそも考えてはいけない。感じよう。
「考える」とは、知性を伴う思考のことです。「感じる」とは、感受性や感覚によって認知される行為を指します。
つまり、"何かネタないかな?" と考えるのではなく、"今自分の感じていることを書こう" ということだ。その感情的なブログが、きっと読んだ人の感情にも刺激をさせることができる。
咄嗟に感じたことは、すぐ忘れる。だから、感じたら、すぐに文章に書き起こすことが必要だ。
それを習慣にできた人、つまりすぐに行動に移せる人 こそが、ブログに限らず、なんでも続けられる人になるのである。
終わりに
遅くなったけど、「ボクココ 11周年記念」 として、ここまで続けられてきた理由について、自分なりに記事にしてみた。
7,8 年くらい前から私のことを知っている人からすると、「考えがだいぶ変わった」と言われることが多いけども、これから変わっていくもの、変わらないもの。それら全てを大事にして今後も続けていこうではないか。